鬼はどこ?

2021年2月2日。本日は節分。

節分が2月2日になるのは1897(明治30)年以来、124年ぶりとのことです。


最近では恵方巻きという文化も定着してきたようですが、節分と言えばやはり豆まきが思い浮かびます。諸説ありますが、魔物の目をめがけて豆を投げて鬼退治、また「魔物の目」=「魔目」という理由から豆まきがおこなわれるようになったそうです。

「鬼は外、福は内」のかけ声がおなじみですが、果たして本当の鬼はいずこに、、、


さて、鬼退治と言えば桃太郎。先日「祇園」という漫才コンビの「炎上しない桃太郎」という漫才を見て、思わず笑ってしまいました。現代社会はあらゆる方面から苦情や批判的な意見などがあり、すぐに炎上してしまう。昔話一つとっても例外ではない。そこで炎上しない桃太郎とは、というテーマでネタが展開されます。


「昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが、、、」

「いや、ちょっとまって。お爺さんとかお婆さんとか、言われるの嫌な人もいるから」

「では、、、妙齢の男性と妙齢の女性が」

と始まり、その後も


「妙齢の男性は山へ芝刈りに、、、」

「そこは、ちゃんと許可の取れた山ね」


「妙齢の女性は川へ洗濯に、、、」

「もちろん洗剤などは使わずにね」


と物語は進み、子どもが食べ物を粗末にしないよう懸念して、流れてくる桃はジップロックに入っていたことにし、また勝手に桃を持ち帰るのはどうかということで、桃には「ご自由にお持ち帰り下さい」と書いてあったということにします。


暴力はいけないという意見にも配慮して鬼ヶ島では双方話し合いのもと、鬼には今後悪さをしないと円満に納得してもらい、財宝を持ち帰る桃太郎は途中、きちんと税務署に立ち寄り申告を済ませるという、なんとも世間様に気を使った桃太郎に仕上がっていました。


もちろん、現代社会に対する皮肉も込められたネタだと思いますが、随分と住みづらい世の中になったものだなぁと、痛感するネタでもありました。


少しのミスや間違いを犯すとたちまちに鬼にされ、どこからともなく現れた顔も名前もわからない正義の味方「桃太郎」に成敗される世の中です。正義は我にありと信じてやまないその桃太郎は、自分の考える鬼を二度と立ち上がれなくなるまで叩きのめし、また次の鬼を探す。もしかするとその鬼が本当の鬼なのかもわからないまま鬼退治に参加している桃太郎もいるかもしれません。本当の鬼はどこにいるのでしょうか、、、


私たち人間は誰しも浅ましく、醜い感情を抱えて生きています。浄土真宗の み教え からすると、鬼はどこからともなくやってくるものではなく、自分の中にいるものと考えます。


人間は不完全な生き物です。不完全であるからミスや間違いも犯します。そんな時に皆で寄ってたかって叩くのではなく、皆で支え合っていく世の中になればなぁ、思うのですが、、、


本当の鬼はどこか遠くにいるのではなく、案外すぐそばにいるものです。鏡を見るとそこには鬼が写っているかもしれません。いやいや、人ごとじゃない、自分のこと。気をつけなければ。